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0337鳥羽城(三重県) [城印象記]

三重県鳥羽市鳥羽の鳥羽城を紹介します。



鳥羽水族館の向かいの山になります。海城で、水族館のあたりも城域で、かつては海に突き出ていましたが、今はそれは想像で補うより他ありません。しかし、城跡として整備された鳥羽城は往時を偲ぶに充分魅力ある城です。

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整備された三の丸広場から見上げた様子です。高石垣ではなく、こんなふうに地形に応じた石垣が組まれていたのでしょう。

鳥羽城は文禄(1592-96)年間に九鬼嘉隆に築かれたそうですが、海から見上げると石の要塞のように見えたことでしょう。圧倒するパワーを感じます。

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階段を登ると、曲輪が広場の様に残され雰囲気を出しています。近世城郭として江戸期に存続した城です。本来は、いろいろな建物が建っていたことでしょうが、今は何もありません。

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その下も曲輪になっています。

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その間には、石垣が新しく作られ、城跡として整備されているのがわかります。

無駄な再現にも思われましたが、津波に対してここを高台の避難所として考え、その意味も兼ての補強なのかなと思いました。

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さて、折り返して再び高いところを目指します。本丸が近づいてきました。

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本丸の周囲が一番当時の面影が残っています。

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野面のような荒さがあり、こんな風に入り組んだ角の様子にはしびれますね。

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本丸は、広く何もありません。何もないというのもいいものです。

少し前までは鳥羽小学校のグランドでした。だから、殊更平らなのかな。

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往時は三重の天守がそびえていたそうです。少しくらい天守台の跡でもありそうなものですが、詳しくはわかっていないそうです。ただ文献に天守があったことは、しっかり記録されているので在ったことには間違いはないでしょう。

九鬼嘉隆時代に在ったかはわかりませんが、海の大将九鬼嘉隆ならば、きっと我が海よと覇気に満ちた思いで眺めたことでしょうね。

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一段低いところに鳥羽小学校の建物が残っています。

廃校になって数年が建ちますが、有形文化財に登録された建造物ですし、これはこれで違う魅力がありそうですね。

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小学校との間の石垣には、水抜きが空けられた石垣が見られ、細かく見ていくと飽きません。

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海と反対側、市役所方面に降りていくと、家老屋敷、家臣屋敷がありました。城のからめ手になります。

旧鳥羽幼稚園の付近には、いい感じで石垣が残っています。きちんと残っています。ここも見所ですね。

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最初にあがった広場のトイレの下あたりにも石垣が見つかったそうです。新しく確認された石垣だそうですが、下から眺めるだけでは、きちんと確認できませんでした。

ただ、こうしてみると全山を石で固めた近世城郭だったことでしょう。

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最後に忘れてはならないのは、相橋です。ここには、相橋門が築かれていました。海城としてまわりを海に囲まれた鳥羽城ですが、妙慶川の流れるあたりは唯一それらしく感じられる場所です。

橋の下に残る石垣は当時のものだそうです。ちょっと発見した気分ですかね。趣があります。

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案内板もきちんと整備され、三の丸広場にはパンフレットも置かれています。

(パンフがきちんとセットされていました。鳥羽市のおもてなしの気持ちを感じます。)

是非立ち寄ってほしい、鳥羽城跡です。

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