0441井ノ口城 [岡崎の城をめぐる]
岡崎市井ノ口町字楼。
井ノ口稲荷神社がある。ここが台地の突端になり、砦があったという。なるほどな、という地形である。ただし、遺構は何もない。
せっかくの機会なので、ブログ紹介にあたっては再訪して計上するようにしている。通りがかりのようにして行っただけではあるが、案内板が出ているのに気が付いた。以前の画像には写ってないから新しく建てたのだろう。チェックに行った甲斐があった。ちょっとした案内だが、こういうものが出来たのは嬉しい。
時期 1465年(寛正6年)室町時代
城主 井口左馬助長家・赤白大納言
現状 井ノ口稲荷神社
概要
寛正6年(1465年)当時二派に対立していた三河吉良氏は被官への統率を欠き、丸山中務入道父子・大場二郎左衛門・簗田左京らが額田郡井ノ口にたてこもり、狼藉をはたらいた。これらが井ノ口砦であったと考えられている。
大昔(弥生時代)は環濠集落だったということで、地図も出ている。興味をひく。
川の外から高台をのぞむ。感じが今もよく残っている。
井ノ口稲荷神社がある。ここが台地の突端になり、砦があったという。なるほどな、という地形である。ただし、遺構は何もない。
せっかくの機会なので、ブログ紹介にあたっては再訪して計上するようにしている。通りがかりのようにして行っただけではあるが、案内板が出ているのに気が付いた。以前の画像には写ってないから新しく建てたのだろう。チェックに行った甲斐があった。ちょっとした案内だが、こういうものが出来たのは嬉しい。
時期 1465年(寛正6年)室町時代
城主 井口左馬助長家・赤白大納言
現状 井ノ口稲荷神社
概要
寛正6年(1465年)当時二派に対立していた三河吉良氏は被官への統率を欠き、丸山中務入道父子・大場二郎左衛門・簗田左京らが額田郡井ノ口にたてこもり、狼藉をはたらいた。これらが井ノ口砦であったと考えられている。
大昔(弥生時代)は環濠集落だったということで、地図も出ている。興味をひく。
川の外から高台をのぞむ。感じが今もよく残っている。
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