0541川北城(三重県) [城印象記]
三重県津市大里川北町字東谷の川北城を紹介します。
ここも公園に碑と案内だけがあるお城です。
南からお城のある丘を臨みます。志登茂川を手前にした感じは、立地としてうなづけるところです。今はかわきた苑という団地になってしまっていますが、やはり住居を構えるにしても、いい土地なのでしょうか。
その丘へは東側から回り込むようにして上がります。城碑のあるかわきた公園は南の一角にあります。その西に土塊があります。もとは主曲輪があったのかもしれません。しかし、そのことには特に説明はなく、整形された様子は、公園を整備した時のものなのかもしれません。
そのふもとには碑と案内があります。
長野工藤氏の与力である川北氏が文永11年(1274)に築いた城で、台地の南西部を占める大きな城郭であったようです。盛んだった様子が記されていますが、当時の縄張りなど具体的なことは、わかりませんでした。
土塊を上がると短い草に覆われ削平地風になっています。ここが、何であるか気になります。そしてまた、木に囲まれ眺望が効かなようになっているのが、何か納得できない整備に思えました。
ここも公園に碑と案内だけがあるお城です。
南からお城のある丘を臨みます。志登茂川を手前にした感じは、立地としてうなづけるところです。今はかわきた苑という団地になってしまっていますが、やはり住居を構えるにしても、いい土地なのでしょうか。
その丘へは東側から回り込むようにして上がります。城碑のあるかわきた公園は南の一角にあります。その西に土塊があります。もとは主曲輪があったのかもしれません。しかし、そのことには特に説明はなく、整形された様子は、公園を整備した時のものなのかもしれません。
そのふもとには碑と案内があります。
長野工藤氏の与力である川北氏が文永11年(1274)に築いた城で、台地の南西部を占める大きな城郭であったようです。盛んだった様子が記されていますが、当時の縄張りなど具体的なことは、わかりませんでした。
土塊を上がると短い草に覆われ削平地風になっています。ここが、何であるか気になります。そしてまた、木に囲まれ眺望が効かなようになっているのが、何か納得できない整備に思えました。
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