0657竹原八郎館(三重県) [城印象記]
三重県熊野市神川町花知字平坪の竹原八郎館を紹介します。
七色ダムのやや下流、北山川の左岸の地になります。県道40号線沿いに花知神社がありますが、ここが竹原八郎館になります。道路向かいに駐車スペースがあります。
山が深いところです。通行できないほどではありませんが、道が細いので走行は要注意です。
しかし、神社は小さいながらにもキレイにされており、説明板もあり、とても感じのいい史跡でした。
南朝の忠臣竹原八郎が1331年(元弘元年)の冬、大塔宮護良親王を熊野路にお迎えして、いちはやく兵をあげ、伊勢に進出して目ざましい働きをした。ここはその竹原八郎の屋敷跡である。東西44メートル、巾8メートルの土塁と深さ6メートル巾8メートルのカラ堀をめぐらし、北は断がいとなっていて天然の要塞をなしている。ただし堀は東側だけになっている。
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神社を囲うように三方に土塁があります。キレイに整形されているようで、そっくり当時のままでもないでしょうが、居館の雰囲気はよく伝わります。
そして、その中心には花知神社が鎮座していました。祭神は、護良親王、牛頭天王、竹原八郎となっています。
後ろは川に面し断崖になっています。
東側の堀はこちらです。まん中に水路があり、名残は感じるものの、雰囲気はありません。説明板によると「深さ6メートル巾8メートルのカラ堀」があったとありますが、かなりの空堀ですよね。それが再現されてないのが、少し残念でした。
七色ダムのやや下流、北山川の左岸の地になります。県道40号線沿いに花知神社がありますが、ここが竹原八郎館になります。道路向かいに駐車スペースがあります。
山が深いところです。通行できないほどではありませんが、道が細いので走行は要注意です。
しかし、神社は小さいながらにもキレイにされており、説明板もあり、とても感じのいい史跡でした。
南朝の忠臣竹原八郎が1331年(元弘元年)の冬、大塔宮護良親王を熊野路にお迎えして、いちはやく兵をあげ、伊勢に進出して目ざましい働きをした。ここはその竹原八郎の屋敷跡である。東西44メートル、巾8メートルの土塁と深さ6メートル巾8メートルのカラ堀をめぐらし、北は断がいとなっていて天然の要塞をなしている。ただし堀は東側だけになっている。
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神社を囲うように三方に土塁があります。キレイに整形されているようで、そっくり当時のままでもないでしょうが、居館の雰囲気はよく伝わります。
そして、その中心には花知神社が鎮座していました。祭神は、護良親王、牛頭天王、竹原八郎となっています。
後ろは川に面し断崖になっています。
東側の堀はこちらです。まん中に水路があり、名残は感じるものの、雰囲気はありません。説明板によると「深さ6メートル巾8メートルのカラ堀」があったとありますが、かなりの空堀ですよね。それが再現されてないのが、少し残念でした。
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