0673九沢砦(愛知県) [城印象記]
愛知県豊田市桑原町上清泰地の九沢(くぞう)砦を紹介します。
山城というと山の頂上を考えますが、必ずしもそうではありません。この九沢砦は後山から延びた尾根先にあります。山の中腹というあたりです。
山田氏の砦で、川手城と武節古城との繋ぎの役割を果たしていた砦と言われています。このあたりを抜けて川手方面へ行く道があったのかもしれません。
しかし、この砦にたどり着くのには苦労しました。
これがマッピングした地図ですが、恥ずかしい話ですが、マークした地点と現在地(九沢砦)がこんなに違っていました。目印に電波の反射板があるようだからと侮ったのが失敗のもとでしょう。
国土地理院地図の切り抜きを載せておきます。
矢印が車を停めて山に入ったところ、+印が九沢砦です。
細い道ではありますが、舗装路で後山近くまで登れます。道の余白地に車を停め山に入りました。
山に入ると、畑などがあり、尾根に登り、その尾根を横断するように南進、山を下り、再び尾根を少し登ったあたりに、九沢砦はあります。なかなか山を下りながら目的地に近づくというのは、心理的に難しいですね。尾根付近でうろうろしていました。けれど、下ったものの、最終的な標高を確認してみると、入山した地点より20mほどは登った計算になります。砦は尾根先で、見ようによっては山の頂上というべき地点でした。
手持ちの図面にもある、この長細い曲輪のような削平地が見えてきた時は嬉しかったです。
ただこの削平地、城砦の遺構かというと少し疑問も感じます。ほどよい削平地ですが、切岸も土塁も何もないのです。
そして、その先には堀切がありました。到着したと確信を持った瞬間です。
その上には砦を占拠するように反射板がありました。
縄張図には数本の竪堀が書き込まれており、小さいけれど技巧的な城砦なのかと期待して訪れたのですが、やや期待外れだったようです。
これは東に4本ある竪堀の一番北のものです。私は縄張図を持って確認しているのでこれかなとわかりましたが、遺構の深さも甘く、そして薮もあってわかりづらいと思います。
結局4本のうち、もう1本確認できた程度に終わりました。
最初見た堀切の反対側にも堀切があります。この南側の堀切は、すでに埋まりかけているらしく、その痕跡として両端が竪堀のように落ちているという感じのものです。
薮をかき分け、確認することはできましたが、これも画像的には苦しいですかね。
南側は帯曲輪が続いているようでした。
縄張図のおかげで何とか遺構は確認できたものの、荒れていました。身動きできないほどのものではないのですが、充分な観察は厳しい状況です。
これというのも反射板工事のため、木々を切り倒した結果と思われます。
周辺の薮化のため、見晴らしも悪かったです。
反射板くらいの視点だったら見晴らしは別でしょうか。
それにしても面白そうな縄張図なんですが、それは書いた人が上手いということですかね。もう夕闇が迫ってきます。うらめしそうな気持で反射板を後にしました。
山城というと山の頂上を考えますが、必ずしもそうではありません。この九沢砦は後山から延びた尾根先にあります。山の中腹というあたりです。
山田氏の砦で、川手城と武節古城との繋ぎの役割を果たしていた砦と言われています。このあたりを抜けて川手方面へ行く道があったのかもしれません。
しかし、この砦にたどり着くのには苦労しました。
これがマッピングした地図ですが、恥ずかしい話ですが、マークした地点と現在地(九沢砦)がこんなに違っていました。目印に電波の反射板があるようだからと侮ったのが失敗のもとでしょう。
国土地理院地図の切り抜きを載せておきます。
矢印が車を停めて山に入ったところ、+印が九沢砦です。
細い道ではありますが、舗装路で後山近くまで登れます。道の余白地に車を停め山に入りました。
山に入ると、畑などがあり、尾根に登り、その尾根を横断するように南進、山を下り、再び尾根を少し登ったあたりに、九沢砦はあります。なかなか山を下りながら目的地に近づくというのは、心理的に難しいですね。尾根付近でうろうろしていました。けれど、下ったものの、最終的な標高を確認してみると、入山した地点より20mほどは登った計算になります。砦は尾根先で、見ようによっては山の頂上というべき地点でした。
手持ちの図面にもある、この長細い曲輪のような削平地が見えてきた時は嬉しかったです。
ただこの削平地、城砦の遺構かというと少し疑問も感じます。ほどよい削平地ですが、切岸も土塁も何もないのです。
そして、その先には堀切がありました。到着したと確信を持った瞬間です。
その上には砦を占拠するように反射板がありました。
縄張図には数本の竪堀が書き込まれており、小さいけれど技巧的な城砦なのかと期待して訪れたのですが、やや期待外れだったようです。
これは東に4本ある竪堀の一番北のものです。私は縄張図を持って確認しているのでこれかなとわかりましたが、遺構の深さも甘く、そして薮もあってわかりづらいと思います。
結局4本のうち、もう1本確認できた程度に終わりました。
最初見た堀切の反対側にも堀切があります。この南側の堀切は、すでに埋まりかけているらしく、その痕跡として両端が竪堀のように落ちているという感じのものです。
薮をかき分け、確認することはできましたが、これも画像的には苦しいですかね。
南側は帯曲輪が続いているようでした。
縄張図のおかげで何とか遺構は確認できたものの、荒れていました。身動きできないほどのものではないのですが、充分な観察は厳しい状況です。
これというのも反射板工事のため、木々を切り倒した結果と思われます。
周辺の薮化のため、見晴らしも悪かったです。
反射板くらいの視点だったら見晴らしは別でしょうか。
それにしても面白そうな縄張図なんですが、それは書いた人が上手いということですかね。もう夕闇が迫ってきます。うらめしそうな気持で反射板を後にしました。
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