0675野入城(愛知県) [城印象記]
愛知県豊田市稲武町野入城ヶ峯の野入城(城ヶ峯)を紹介します。
上郷城と柏洞城の連絡に、奥平信光1581(天正9)年が築いたそうです。この城も本来だと比高のある頂の城で、訪れるのが大変ですが、近くに稲武OGMカントリークラブが出来、そのゴルフ場へ通う道が付近を通り、比較的簡単に簡単に登れるようになりました。その道路からだと比高は60mです。
+印のある標高808mの山が野入城になります。
とは言っても、そんな山城に登る人はめったにいません。もちろん、案内や道もあるわけでもありません。それなりに注意は必要です。
出曲輪が道路方向に伸びており、その直下と思えるあたりです。
コンクリートで土留めされています。比高的には優しいといっても、こんなところを登ったのでは危なくて仕方ありません。
道路沿いに適当な登り口を探します。カーブを曲がり終えたあたりで山に入りました。木々があった方が助かります。
上は結構薮っていました。歩き抜けるのに少しやっかいでした。
楕円形のような削平地になっています。ただ、城らしい遺構はなくて、ここで本当に正しいのか危ぶまれます。
そのまま歩き抜けようとすると段差があり、続く尾根が削平地のように続く地形を見て、やっと出曲輪ということを確信できました。
尾根を進むと主郭が見えます。手前には帯曲輪のような削平地があります。削平が甘くて、斜面っぽいので、ちょっとどうかなと思う遺構です。
そこを越え高い所へたどり着くと主郭でした。ここは割ときちんと削平されているように思えました。
その主郭の端までくると切れています。切岸+堀切ということでしょうか。堀は浅くなっていましたが、落差があり、城らしい見所です。
城はそのまま尾根方向に伸びています。この尾根ラインに出曲輪の尾根ラインが直交する形なのです。
そのまま伸びる尾根は余り遺構っぽく感じられませんでしたが、途中堀切があったりして、やっぱり城なんだと再認識させられます。
また一部では片土塁のようにもなっていました。
こうして見ると、北東方面の尾根下、多分昔も通っていただろう飯田街道(今の153号線)方面の監視を意識しているのだろうなと思えます。
しかし、その斜面はものすごく急で敵を寄せ付けないものでした。
上郷城と柏洞城の連絡に、奥平信光1581(天正9)年が築いたそうです。この城も本来だと比高のある頂の城で、訪れるのが大変ですが、近くに稲武OGMカントリークラブが出来、そのゴルフ場へ通う道が付近を通り、比較的簡単に簡単に登れるようになりました。その道路からだと比高は60mです。
+印のある標高808mの山が野入城になります。
とは言っても、そんな山城に登る人はめったにいません。もちろん、案内や道もあるわけでもありません。それなりに注意は必要です。
出曲輪が道路方向に伸びており、その直下と思えるあたりです。
コンクリートで土留めされています。比高的には優しいといっても、こんなところを登ったのでは危なくて仕方ありません。
道路沿いに適当な登り口を探します。カーブを曲がり終えたあたりで山に入りました。木々があった方が助かります。
上は結構薮っていました。歩き抜けるのに少しやっかいでした。
楕円形のような削平地になっています。ただ、城らしい遺構はなくて、ここで本当に正しいのか危ぶまれます。
そのまま歩き抜けようとすると段差があり、続く尾根が削平地のように続く地形を見て、やっと出曲輪ということを確信できました。
尾根を進むと主郭が見えます。手前には帯曲輪のような削平地があります。削平が甘くて、斜面っぽいので、ちょっとどうかなと思う遺構です。
そこを越え高い所へたどり着くと主郭でした。ここは割ときちんと削平されているように思えました。
その主郭の端までくると切れています。切岸+堀切ということでしょうか。堀は浅くなっていましたが、落差があり、城らしい見所です。
城はそのまま尾根方向に伸びています。この尾根ラインに出曲輪の尾根ラインが直交する形なのです。
そのまま伸びる尾根は余り遺構っぽく感じられませんでしたが、途中堀切があったりして、やっぱり城なんだと再認識させられます。
また一部では片土塁のようにもなっていました。
こうして見ると、北東方面の尾根下、多分昔も通っていただろう飯田街道(今の153号線)方面の監視を意識しているのだろうなと思えます。
しかし、その斜面はものすごく急で敵を寄せ付けないものでした。
コメント 0