0785武節古城(愛知県) [城印象記]
豊田市(旧稲武町)桑原字上鎌井の武節古城を紹介します。
ここも地図に等高線がないので、アバウトな位置付けになってしまいました。
城は舌状台地の突端部で比高は50mほどの丘陵地にあります。武節城から名倉川を隔てて対峙する様な位置になるのですが、正面からではわかりにくいですし、登城もしにくいようです。
西の舌状台地突端部に熊野神社があるのですが、この神社に行く道があります。背後から回り込むような道ですが、この道をそのまま行くと、武節古城の背後に回り込めます。そこからすぐです。通り過ぎたあたりに余白地がありますので、迷惑がかからないようなところへ停めて、訪城してください。
舌状台地基部には果樹園があり、この横をすり抜けるのがちょっとやっかいではありました。けど、藪漕ぎをすることを思えば何のことはありません。斜面をスタスタ歩いて、突端部に向かいます。
するとその先には、土塁が一文字にふさいでいます。
武節古城ではここが一番の見所になると思います。
その手前の不自然な平地をよく見ると、堀切を埋め立てたようです。
その脇を見ると竪堀があり、これが堀切の痕跡と思われます。
勝手な空想ですが、かなりの規模が想像されます。この堀が埋められてしまったのが残念ですね。
その土塁の向こうは主郭です。以前訪れた時も荒れた薮だったのですが、今も大きくは変わらないようです。途中段差を感じなくもないですが、大きな曲輪がぽつんとあります。
先端まできて下をのぞくと帯曲輪が付いているのがわかります。単郭の山城ではないようで、それなりの構えがあったのでしょう。しかし、土塁などはないようです。
割と広い曲輪になっているようなので、南東角の下に降りて見ました。
曲輪自体はさほど広くはないのですが、はっきりと削平した人工感を感じます。切岸がよくわかるのです。この振り返ってみた光景は山城らしい1コマでした。よかったですね。
しかし、この石は何でしょうか。石垣に関係するものとも思われない感じですし、お墓でもあったその名残の石なのでしょうか。わかりません。
薮ばかりで面白みは少ないのですが、それでも城らしい部分を見つけて楽しんできました。
そうそう、薮に埋もれているといえば、土塁の上に案内板もあります。
こんなところにあって誰が読むのだろうと思ってしまうのですが、ここまで来たら是非看板も見落とさず、薮へも突入してくださいまし。
ここも地図に等高線がないので、アバウトな位置付けになってしまいました。
城は舌状台地の突端部で比高は50mほどの丘陵地にあります。武節城から名倉川を隔てて対峙する様な位置になるのですが、正面からではわかりにくいですし、登城もしにくいようです。
西の舌状台地突端部に熊野神社があるのですが、この神社に行く道があります。背後から回り込むような道ですが、この道をそのまま行くと、武節古城の背後に回り込めます。そこからすぐです。通り過ぎたあたりに余白地がありますので、迷惑がかからないようなところへ停めて、訪城してください。
舌状台地基部には果樹園があり、この横をすり抜けるのがちょっとやっかいではありました。けど、藪漕ぎをすることを思えば何のことはありません。斜面をスタスタ歩いて、突端部に向かいます。
するとその先には、土塁が一文字にふさいでいます。
武節古城ではここが一番の見所になると思います。
その手前の不自然な平地をよく見ると、堀切を埋め立てたようです。
その脇を見ると竪堀があり、これが堀切の痕跡と思われます。
勝手な空想ですが、かなりの規模が想像されます。この堀が埋められてしまったのが残念ですね。
その土塁の向こうは主郭です。以前訪れた時も荒れた薮だったのですが、今も大きくは変わらないようです。途中段差を感じなくもないですが、大きな曲輪がぽつんとあります。
先端まできて下をのぞくと帯曲輪が付いているのがわかります。単郭の山城ではないようで、それなりの構えがあったのでしょう。しかし、土塁などはないようです。
割と広い曲輪になっているようなので、南東角の下に降りて見ました。
曲輪自体はさほど広くはないのですが、はっきりと削平した人工感を感じます。切岸がよくわかるのです。この振り返ってみた光景は山城らしい1コマでした。よかったですね。
しかし、この石は何でしょうか。石垣に関係するものとも思われない感じですし、お墓でもあったその名残の石なのでしょうか。わかりません。
薮ばかりで面白みは少ないのですが、それでも城らしい部分を見つけて楽しんできました。
そうそう、薮に埋もれているといえば、土塁の上に案内板もあります。
こんなところにあって誰が読むのだろうと思ってしまうのですが、ここまで来たら是非看板も見落とさず、薮へも突入してくださいまし。
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