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0860桑子城 [岡崎の城をめぐる]

岡崎市大和町沓市場。


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妙源寺南西あたりが桑子城という。と言っても何も遺構は残ってない。南の境は少し土が盛られているようだが、お墓を囲うものか、寺の境界として後に作られたものだろう。ひっとしたら土塁の痕跡かと思うのは妄想の域を出ない。

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親鸞が三河に立ち寄った時に創建されたお寺で、真宗のお寺としてはこの地方でも最も古い部類に入る。

太子像を安置した柳堂は、15世紀前半に建立されたものと推定され国の重要文化財に指定されている。

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ここでは、三河一向一揆の時には家康方に味方し、家康が妙源寺に難を避けたと言われている。その縁で、明眼寺から「源」の一字を賜り今の妙源寺となったそうだ。

桑子城は安藤氏歴代の居城で、妙源寺には安藤家当主のお墓が並ぶ。

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安藤家は紀州徳川家の付家老や紀州田辺藩主(こちらが嫡流)にもなった家なので、お墓もなかなかのものだ。これだけ大きい墓石で一族の墓が並ぶのは壮観である。

ただ整備されておらず、お墓の保全状態も心配であるし、何よりも案内がないので、誰のものかよくわからない。

中央にある、この右から2番目の立派なお墓が、どうやら安藤直次のものらしい。

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他にも、本多忠豊・本多忠高の墓がある。本多平八郎忠勝の祖父と父だ。

本多家と妙源寺のつながりはよくわからない。妙源寺が真宗のお寺としては力があったのだろうか、と考えたりする。

または安城合戦で亡くなった二人を偲び、安祥に近いこの地に弔ったのか。そういえば、安祥城にも墓碑はあるのだが。

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また十六神将にも数えられる高木清秀の墓もある。

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こちらは平岩親吉墓。尾張犬山藩主となったが嗣子がなく断絶した。

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長坂信政墓。槍働きの武勇で名を馳せ、血槍九郎の異名で知られる。

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三河武士の名だたる武将のお墓がこんなにもあるのに、たいした案内はなく、半ば放置に近い状態になっているのは残念な気がした。

(こちらは妙源寺本堂。)

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