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0934田沢城(静岡県) [城印象記]

静岡県浜松市北区引佐町田沢の田沢城(天山(あてやま)城)を紹介します。

この城は県境の城山にあって、こうしてみると愛知県側に山頂があるように見えます。が、井伊氏に関与する城であり、静岡県の田沢から登る道があり、DoCoMo東海引佐無線中継所が建ってたりするので、一般的には静岡県の城と言っていいでしょう。



引佐北部中学を右手に見ながら北進し城山に向かいます。

「この先田沢城跡5km」の案内のあるところを左折します。城山山頂まで車で行ける城です。

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以前は、途中で通行止めになっていました。

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今回はリベンジです。道は舗装あり、ダートありで、ほぼ一車線ちょっとの道です。道に余裕はありますが、すれ違いはできません。何よりも道が切り立った箇所がかなりあり、万一路肩が崩れたり、タイヤを滑らすと大事故になります。緊張した山道でした。

途中2.3kmの表示があります。

この案内より前半がこわい山道でした。

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途中、まさかの対向車に出会いました。かなりのロングバックをしました。

退避所が少ないです。この道をバックで1kmくらい平気で走れないなら無理をしない方がいいと思います。

しかし、自分のことを棚に上げて言うのも何ですが、こんな山に登る人がいるものなんですね、驚きました。

あと1kmを切ったくらいのところで、城の案内板がありました。

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  史蹟 田沢城(天山城)跡案内

 ここが、史蹟、田沢城(天山城)跡である。
 南北朝の頃、井伊家から分れた田中三郎兵衛直家の子直道は、田沢の地に移り来て、田沢兵衛次郎直道と名乗りこの天山に城を築いた。
 井伊家は天領をあずかる名門として、南朝方に味方し後醍醐天皇の皇子宗良親王を奉じて、井伊谷に拠点の城を設けた。田沢城は、井伊家の北方の守りとして設けられたものである。
 宗良親王は三岳城に立てこもって戦ったが、攻め来った足利方の大軍に屈して興国元年(1340年)1月落城したものと古文書は記し残している。
 此所にあった田沢城(一名天山城)は三岳城落城に先だって、延元4年(1339年)秋の頃、井伊攻めの激戦で衆寡敵せず、落城したものと思われる。
 これ等宗良親王に味方した田沢城主は田沢氏初代の田沢兵衛次郎の孫彦次郎頼直その子大炊介通直である。
 足利方の大軍が井伊谷、伊平を経てここ田沢の地にも攻め来ったものである。悲運の涙をのんで戦死或は逃げ落ちた、この地の先祖を思へば感慨無量のものがある。
 この山頂からは本城三岳城のあった三岳山、遠くは三方原、浜名湖、遠州灘、天竜川、秋葉山、駿河の富士山も望見することが出来る。

 1988年12月 田沢自治会 鎮玉の歴史と文化を守る会

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最後は少し急坂で上に到着しました。

上は余白地もありますから駐車の心配はいりません。無事についてほっとしました。

上には、DoCoMo東海引佐無線中継所と中部電力城山無線中継所の大きな電波塔が建っています。

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山道は、これらの施設の保守点検もあっての道でしょう。

残念ながら城らしい遺構は何もありませんでした。

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ただこうした説明があり、それで自分的にはかなり満足できました。

それでも「古代遺跡を思わすような巨石群」が気になって、薮の中も歩いてみたのですが、やっぱり、何も見つからないですね。南北朝争乱の昔ですし、これらの施設建設で、雰囲気的なものも消し飛んでしまったのでしょうか。

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見晴らしの良さそうな山頂ではありますが、普通に立っている分じゃ、遠望は効きません。

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電波塔、網目状の階上ですが、安全は確保されているよう構造です。あの電波塔に登れたら、さぞかし絶景が望めることだろうなと思って見ていました。

秋晴れな青空だったら、なおグッド、なのですが。

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帰りは、対向車もなくすっと降りれました。

湧水が流れていたのが印象的でした。

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