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1267鎌原城(群馬県) [城印象記]

群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原の鎌原城を紹介します。

より大きな地図で蔓草マップ を表示

元は一面のキャベツ畑だったという畑の小道をいくと、もうそこは鎌原城です。

路肩には三の丸の標柱があります。

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簡単ながら駐車場もありました。

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整備されているのは、うれしいですね。

ここにある案内板には縄張図もあります。崖の突端を利用した鎌原城の全体が想像されます。

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ここから、真田氏ゆかりの城、鎌原城本丸跡までは徒歩3分になります。

もう本丸に建てられた碑等が小さく見えます。

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三の丸と二の丸の間の堀が整備されていました。おそらく遺構を整備したのでしょうが、少しキレイすぎて、復元された堀みたいです。

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本丸です。

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大河効果なんですね。真田人気は素晴らしいです。

丸木のイスが6ヶというのがいいですね。

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説明板です。この説明板は自体は10年前からあったようですが。

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 嬬恋村指定史跡

  鎌原城址(かんばらじょうし)

    (指 定)昭和48年12月18日
    (所在地)群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原字丸

 鎌原城は、吾妻川に断崖をめぐらす要害で岩櫃城、羽根尾城との攻防戦は、加沢記によって知られています。応永4(1397)年の築城と伝えられており、元和元(1615)年徳川幕府の「一国一城令」による破却まで、鎌原氏の居城として、戦国の歴史を秘めています。
 南北400メートル、幅150メートルの城域があり、本丸・二の丸・三の丸・東曲輪・笹曲輪の五郭に分かれ、堀切りと城主墓地を残す他、付近に金毘羅の砦、上城、下城、丸、陣馬など城に関係ある地名も残っています。
 鎌原氏は滋野源氏、海野氏の一族で下屋氏の末裔にあたり戦国時代より、三原荘を支配する豪族でした。戦国時代には甲州武田信玄の武将となり、江戸時代には沼田城真田氏の家老でしたが、天和元(1681)年沼田藩改易により、幕府が治めるようになってからは大笹の関守となり、廃関まで8代187年間、関番をつとめました。

 平成18年11月  嬬恋村教育委員会

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突端まで行ってきました。

やや低くなった削平地です。狭まっているだけに、曲輪らしく感じます。そして何よりも、先に進むと木々の隙間から、ここが断崖上にあることがわかります。

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説明にもある金毘羅の砦が正面に見えます。小山です。

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農地の跡で、あまり城らしくないですが、よく整備されています。資料が多いので、ちょっとの想像力で楽しめるお城です。ちょっとの立ち寄りにはいいですね。

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城仲間の方に案内いただきました。このちょっとが嬉しいですね。

最後はおまけです。

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