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1349朝日ヶ丘土塁(兵庫県) [城印象記]

兵庫県三木市別所の朝日ヶ丘土塁を紹介します。

より大きな地図で蔓草マップ を表示

先日紹介した法界寺山ノ上付城から南東方面に連なる多重土塁です。三木合戦時のいわゆる2期に、三木城南方面に、毛利勢からの補給路を断つために築かれたものです。

城の土塁ではなく、城の間を埋めるように点在しています。むしろ、この遮蔽土塁の間に付城をおいて、防御ラインを設けたというところなのでしょうか。

1349-01.jpg

○包囲網多重土塁(ほういもうたじゅうどるい)

 三木城の南側に築かれた2~4重の土塁で、法界寺裏山の付城までの各付城を結び、包囲網を構成しています。
 この包囲網は、別所氏と同盟関係にある中国地方の大名毛利氏が、兵糧を明石の魚住の浜に陸揚げし、三木城へ搬入していたことから、これを阻止するために築かれたもので、総延長は約4kmに及んだと推測されます。土塁の高さは約0.3~1.5mを測る比較的低いものですが、兵糧を積んだ荷車が幾重にも築かれた土塁を越えるのは困難だったと考えられています。
 国有林内には、この多重土塁のほかにも数か所で残っています。

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法界寺山ノ上付城の南には林道があります。これを右手に向かって進むと左手方面から連なってきている土塁の端にあたります。

低い土塁なので見落としそうですが、手製の案内板もあり助かります。

1349-02.jpg

包囲網多重土塁、遮蔽土塁の全体を見ても西の端になるのですが、あまり実感の湧かない凸凹です。

それから引き換えし、今度は左手方面に進みます。遮蔽土塁としては、この方面のものがよく残り、マップの位置もこちらに印しました。

やはり、手製の案内板もありますので、迷わないでしょう。

1349-03.jpg

林道から更に左手に曲がると土塁がはっきりしてきます。団地に近づくように進むのですが、その団地近くの南側の土塁です。

低いですが、長く連なった土塁がよくわかります。

1349-04.jpg

北側を見るとそちらにも土塁が連なっています。奥にもあるようですね。上手く1枚の画像に収めることはできませんでしたが、多重土塁の間にいることはよくわかりました。

このあたりから南東に向けて点在して残る遮蔽土塁ですが、全体に低く、わかり難い遺構ではあります。まず代表的なこの朝日ヶ丘土塁などを見て、目を慣らしてから、地図とにらめっこして史蹟歩きされるといいと思います。

1349-05.jpg
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