1199愛知県安城市のマンホール追加 [マンホール]
愛知県安城市のマンホールです。(前回はこちら。)
久しぶりに安城市街を歩きました。そこで思いがけず、カラーマンホールの発見。なかなか、いい感じのデザインマンホールです。たまたま、この1つを発見しましたが、ここだけの限定盤なのでしょうか。
新美南吉が取り上げられています。
日本を代表する児童文学作家と言っていいでしょう。若くして結核でなくなりますが、珠玉の作品群は今も読み継がれています。
愛知県半田市の生まれですが、この安城も所縁があり、女学校の教員を勤めていました。
モニュメントの横には、何やら見えますね。
街角に、ちょっとほっとするスペースです。
20代の南吉にしては老成してないか、と思ってしまいましたが、いいですね。
「花の木村と盗人たち」はこの安城高等女学校教員時代に書き上げた名作です。
久しぶりに安城市街を歩きました。そこで思いがけず、カラーマンホールの発見。なかなか、いい感じのデザインマンホールです。たまたま、この1つを発見しましたが、ここだけの限定盤なのでしょうか。
新美南吉が取り上げられています。
日本を代表する児童文学作家と言っていいでしょう。若くして結核でなくなりますが、珠玉の作品群は今も読み継がれています。
愛知県半田市の生まれですが、この安城も所縁があり、女学校の教員を勤めていました。
モニュメントの横には、何やら見えますね。
街角に、ちょっとほっとするスペースです。
20代の南吉にしては老成してないか、と思ってしまいましたが、いいですね。
「花の木村と盗人たち」はこの安城高等女学校教員時代に書き上げた名作です。
1187マンホール画像のコレクション [マンホール]
実は、先日の「1179宮城県丸森町金山地区のマンホール」でマンホール画像のストックが尽きました。「0011奈良県宇陀市のマンホール」でこのブログに取り上げて以来、なぜ?、と思うくらい人気コーナーになってしまいました。
最初にも書いたように「箸休めに、ぽちぽちとアップしていこう」というスタンスでやってきました。ブログもこんなに続けれたのも、とりあえずマンホール記事、困ったときのマンホール記事、そんな逃げ場があったので、続けられたのだと思っています。
そんなマンホール記事だったのにご愛顧いただき恐縮です。でも、そのアクセス数にずいぶん励まされました。
こちらが初めて撮ったマンホール画像です。当時、mixiをやっていまして、マイミクさんの影響を受けて、ちょっと撮ってみた、というところです。
mixi日記2008・09・02(火)に「岡崎城あたりでマンホール」として掲載されてました。
でも、本格的にマンホール画像を撮り始めたのは、2011年からです。2011年の正月の日記にマンホラー宣言をしました。
その時以来、マンホールホルダーを作ってPCに画像整理しています。
2009年に倭城見学で韓国に行った時のものも画像整理した時にコレクションしたものです。
当時のmixi日記2011・02・20(日)「集めよう!マンホール画像」でも嘆いていますが、意外なくらいマンホール画像は少なく、海外のものはこれ1枚です。これまで、訪問した都道府県でも未取得のところが6ヶ所あります。そのうち、高知・徳島・岩手・鹿児島などは近年訪れているのに、なぜ撮らなかったのでしょうか。まあ、ついでにマンホールというスタンスですし、気長にやっていこうと思います。
ちなみにあと未取得なのは宮崎・沖縄です。
北海道の1枚は釧路で名古屋下水道博物館で撮ったものです。コレクションとしては、貴重な1枚ですが、どう扱うか、旅のついでにというスタンスとしては戸惑います。
一番新しい能勢のマンホールまでで610枚になりました。
当初の目標である全市町村のマンホールを目指し、これからも頑張っていきましょう。(ただ愛知県豊根村のようにデザインマンホールが見当たらないところもありそうですが。)
新たにゲットすればマンホール記事は続けていきますが、しかし、困りました、箸休めがなくなってしまいました。ブログ継続が、苦しくなるかな。
(未掲載の京都府亀岡市のマンホールです。)
最初にも書いたように「箸休めに、ぽちぽちとアップしていこう」というスタンスでやってきました。ブログもこんなに続けれたのも、とりあえずマンホール記事、困ったときのマンホール記事、そんな逃げ場があったので、続けられたのだと思っています。
そんなマンホール記事だったのにご愛顧いただき恐縮です。でも、そのアクセス数にずいぶん励まされました。
こちらが初めて撮ったマンホール画像です。当時、mixiをやっていまして、マイミクさんの影響を受けて、ちょっと撮ってみた、というところです。
mixi日記2008・09・02(火)に「岡崎城あたりでマンホール」として掲載されてました。
でも、本格的にマンホール画像を撮り始めたのは、2011年からです。2011年の正月の日記にマンホラー宣言をしました。
その時以来、マンホールホルダーを作ってPCに画像整理しています。
2009年に倭城見学で韓国に行った時のものも画像整理した時にコレクションしたものです。
当時のmixi日記2011・02・20(日)「集めよう!マンホール画像」でも嘆いていますが、意外なくらいマンホール画像は少なく、海外のものはこれ1枚です。これまで、訪問した都道府県でも未取得のところが6ヶ所あります。そのうち、高知・徳島・岩手・鹿児島などは近年訪れているのに、なぜ撮らなかったのでしょうか。まあ、ついでにマンホールというスタンスですし、気長にやっていこうと思います。
ちなみにあと未取得なのは宮崎・沖縄です。
北海道の1枚は釧路で名古屋下水道博物館で撮ったものです。コレクションとしては、貴重な1枚ですが、どう扱うか、旅のついでにというスタンスとしては戸惑います。
一番新しい能勢のマンホールまでで610枚になりました。
当初の目標である全市町村のマンホールを目指し、これからも頑張っていきましょう。(ただ愛知県豊根村のようにデザインマンホールが見当たらないところもありそうですが。)
新たにゲットすればマンホール記事は続けていきますが、しかし、困りました、箸休めがなくなってしまいました。ブログ継続が、苦しくなるかな。
(未掲載の京都府亀岡市のマンホールです。)
1182大阪府能勢町のマンホール [マンホール]
大阪府能勢町のマンホールです。
茅葺屋根の古民家と長谷の棚田が描かれています。わかりにくくなってしまいましたが上部にあるのは栗の実です。
能勢は栗の産地で、人気品種「栗寄」の発祥の地だそうです。
それに気が付いていれば、栗の木でも撮ってきたのになあ。後の祭りです。
大阪最北の地という能勢は山がちで、どこか涼しげな町でした。ここも大阪府なのという気がします。私的に言えば、兵庫県っぽさを思うのですが、どうなんでしょう。
地黄城を訪れました。
ここは食違虎口が見られる大手門をはじめとして石垣がよく残っています。元能勢東中学だった場所でもあるのですが、移転してしまって、かつて見た風景とは一変していました。
茅葺屋根の古民家と長谷の棚田が描かれています。わかりにくくなってしまいましたが上部にあるのは栗の実です。
能勢は栗の産地で、人気品種「栗寄」の発祥の地だそうです。
それに気が付いていれば、栗の木でも撮ってきたのになあ。後の祭りです。
大阪最北の地という能勢は山がちで、どこか涼しげな町でした。ここも大阪府なのという気がします。私的に言えば、兵庫県っぽさを思うのですが、どうなんでしょう。
地黄城を訪れました。
ここは食違虎口が見られる大手門をはじめとして石垣がよく残っています。元能勢東中学だった場所でもあるのですが、移転してしまって、かつて見た風景とは一変していました。
1181大阪府豊能町のマンホール [マンホール]
大阪府豊能町のマンホールです。
町の花タンポポが描かれています。町章と「とよの」「おすい」とあります。豊能は「とよの」と読むのですね。
町章は四つのカタカナの「ト」とひらがなの「の」を組合わせています。
大阪北部の町で京都・兵庫も近く、端っこまで来たのがわかります。
山も多いです。
こちらは城山高校のあった丘です。既に廃校になってしまってますが、かつて余野城があったところです。
そして、その近くには余野本城もあります。
高地なのか幾分涼しい空気が流れ、田んぼにはカエルが飛び跳ねていました。
町の花タンポポが描かれています。町章と「とよの」「おすい」とあります。豊能は「とよの」と読むのですね。
町章は四つのカタカナの「ト」とひらがなの「の」を組合わせています。
大阪北部の町で京都・兵庫も近く、端っこまで来たのがわかります。
山も多いです。
こちらは城山高校のあった丘です。既に廃校になってしまってますが、かつて余野城があったところです。
そして、その近くには余野本城もあります。
高地なのか幾分涼しい空気が流れ、田んぼにはカエルが飛び跳ねていました。
1179宮城県丸森町金山地区のマンホール [マンホール]
宮城県丸森町金山(かねやま)地区のマンホールです。
粒々とひし形の中に金山の文字がデザインされています。町章などのマークかも知れないですが、由来などはわかりませんでした。
金山町は1954(昭和29)年に大内村・大張村・耕野村・小斎村・舘矢間村・筆甫村と合併し、新制の丸森町になりました。
が、過疎化には歯止めがかかっておらず人口は減り続けているようです。
金山には、伊達の21要害の一つ金山城があります。見事な石垣が残っており、要害と言えども立派なお城だったことが実感されます。
粒々とひし形の中に金山の文字がデザインされています。町章などのマークかも知れないですが、由来などはわかりませんでした。
金山町は1954(昭和29)年に大内村・大張村・耕野村・小斎村・舘矢間村・筆甫村と合併し、新制の丸森町になりました。
が、過疎化には歯止めがかかっておらず人口は減り続けているようです。
金山には、伊達の21要害の一つ金山城があります。見事な石垣が残っており、要害と言えども立派なお城だったことが実感されます。
1178茨城県土浦市のマンホール [マンホール]
茨城県土浦市のマンホールです。
手まりの格子のような模様の中心に土浦市の市章が載っています。土浦市のサイトによると「土浦の「土」の字を桜川にうつる桜の花弁と霞ヶ浦のさざなみに図案化し、市民の協和と伸びゆく市勢を象徴したものである。」だそうで、昭和17年と戦中に制定されました。
かつては地域の中心都市として賑わっていましたが、最近では学園都市として有名なつくば市に押されているようです。
こちらは駅近くにある東横インから眺めた景色です。
そして東横イン。
その時は、土浦城の櫓門は整備中でした。今はきれいになっていることでしょうね。この春、続日本100名城に選ばれました。
新しい画像がないので、1994年に訪れた時のものです。
かつての繁栄が偲ばれます。
手まりの格子のような模様の中心に土浦市の市章が載っています。土浦市のサイトによると「土浦の「土」の字を桜川にうつる桜の花弁と霞ヶ浦のさざなみに図案化し、市民の協和と伸びゆく市勢を象徴したものである。」だそうで、昭和17年と戦中に制定されました。
かつては地域の中心都市として賑わっていましたが、最近では学園都市として有名なつくば市に押されているようです。
こちらは駅近くにある東横インから眺めた景色です。
そして東横イン。
その時は、土浦城の櫓門は整備中でした。今はきれいになっていることでしょうね。この春、続日本100名城に選ばれました。
新しい画像がないので、1994年に訪れた時のものです。
かつての繁栄が偲ばれます。
1174茨城県石岡市のマンホール [マンホール]
茨城県石岡市のマンホールです。
獅子舞がデザインされていますが、関東三大祭りの常陸国総社宮例大祭(石岡まつり)の出し物のひとつ「幌獅子」を描いたものだそうです。雨で細部まできちんと見えなくてすいません。またリベンジしないとと思っています。
石岡市は常陸国の国府が置かれたまちで、長らく常陸府中などと呼ばれました。今の石岡小学校のところには府中城がありました。
常陸国府跡碑と府中城の土塁です。
そして藩庁もこちらでした。位置を変えながらも現存する表門があります。
雨が厳しかったようで、画面にも写ってますね。
雨の日は、やはりこちらの方がいいですか。
今、6月下旬となってやっと梅雨らしい日々になりました。
獅子舞がデザインされていますが、関東三大祭りの常陸国総社宮例大祭(石岡まつり)の出し物のひとつ「幌獅子」を描いたものだそうです。雨で細部まできちんと見えなくてすいません。またリベンジしないとと思っています。
石岡市は常陸国の国府が置かれたまちで、長らく常陸府中などと呼ばれました。今の石岡小学校のところには府中城がありました。
常陸国府跡碑と府中城の土塁です。
そして藩庁もこちらでした。位置を変えながらも現存する表門があります。
雨が厳しかったようで、画面にも写ってますね。
雨の日は、やはりこちらの方がいいですか。
今、6月下旬となってやっと梅雨らしい日々になりました。
1173茨城県水戸市のマンホール [マンホール]
茨城県水戸市のマンホールです。
市の木ウメがデザインされています。いい枝振りです。上部中央には市章。水戸市の「水」を図案化したものだそうです。
少し細かいのですが、市章の中心部にあるのは「ト」が3つで、それが水戸を表しているという水戸市の説明に、思わず笑ってしまいました。デザインというのも、言い訳の世界と五十歩百歩のような気がしてしまいました。
水戸は人口27万、茨城県の中心に位置する県庁所在地で、江戸期は御三家のひとつの水戸藩があったところです。9代藩主徳川斉昭が造った庭園が有名な偕楽園です。
偕楽園は日本三名園のひとつで、100種3,000本以上の梅が植えられている、梅で有名な庭園です。
ただっ広い庭園で、寒い中をずいぶん歩き回った記憶があります。
もう昔のことで、写真は埋もれてしまいました。
再訪で訪れたこの日はあいにくの雨。
水戸第一高校には水戸城の本丸表門と伝わる薬医門があります。現存する城郭建築物はこの門のみです。
雨をものともしない力強い佇まいでした。
市の木ウメがデザインされています。いい枝振りです。上部中央には市章。水戸市の「水」を図案化したものだそうです。
少し細かいのですが、市章の中心部にあるのは「ト」が3つで、それが水戸を表しているという水戸市の説明に、思わず笑ってしまいました。デザインというのも、言い訳の世界と五十歩百歩のような気がしてしまいました。
水戸は人口27万、茨城県の中心に位置する県庁所在地で、江戸期は御三家のひとつの水戸藩があったところです。9代藩主徳川斉昭が造った庭園が有名な偕楽園です。
偕楽園は日本三名園のひとつで、100種3,000本以上の梅が植えられている、梅で有名な庭園です。
ただっ広い庭園で、寒い中をずいぶん歩き回った記憶があります。
もう昔のことで、写真は埋もれてしまいました。
再訪で訪れたこの日はあいにくの雨。
水戸第一高校には水戸城の本丸表門と伝わる薬医門があります。現存する城郭建築物はこの門のみです。
雨をものともしない力強い佇まいでした。
1171茨城県旧真壁町のマンホール [マンホール]
茨城県旧真壁町のマンホールです。
町の花ヤマユリがデザインされています。3分割するような茎と6つの花には何か意味があるのかな。「まかべ」「おすい」と文字が入っています。
あいにくの雨で水に浸ってしまっているのが残念です。
真壁町は県西に位置し、人口2万人足らずの町でしたが、2005年岩瀬町、大和町と合併して桜川市になりました。
古くは真壁氏の真壁城があったところです。
江戸期には陣屋がおかれ、その影響もあってか古い街並みが残っています。
こちらは猪瀬家の薬医門です。登録有形文化財になります。こんな素敵な物件がいっぱいの真壁の街並み、ゆっくり散策したいものです。
町の花ヤマユリがデザインされています。3分割するような茎と6つの花には何か意味があるのかな。「まかべ」「おすい」と文字が入っています。
あいにくの雨で水に浸ってしまっているのが残念です。
真壁町は県西に位置し、人口2万人足らずの町でしたが、2005年岩瀬町、大和町と合併して桜川市になりました。
古くは真壁氏の真壁城があったところです。
江戸期には陣屋がおかれ、その影響もあってか古い街並みが残っています。
こちらは猪瀬家の薬医門です。登録有形文化財になります。こんな素敵な物件がいっぱいの真壁の街並み、ゆっくり散策したいものです。
1168茨城県守谷市のマンホール [マンホール]
茨城県守谷市のマンホールです。
上には市の木マツ、下には市の花ヤマユリが描かれ、中央には市の鳥コジュケイの親子が描かれています。
コジュケイは小綬鶏と書き、30cm弱のキジ科のずんぐりとした体形で、雑木林や竹林などで見られます。家族仲良く繁栄する姿を、守谷市がベットタウンとして成長しているのになぞらえているそうです。
人口は右肩上がりに伸びていて現在6万5千人ほどです。1970年には1万2千人ほどだったことを考えると、順調に成長しているのですね。
県境の市でもある守谷は、旧下総国でもあり、旧千葉県でもありました。
戦国期は相馬氏の守谷城があり、江戸初期には城下町でもありました。
その守谷城です。土の城ながら、よいお城です。
上には市の木マツ、下には市の花ヤマユリが描かれ、中央には市の鳥コジュケイの親子が描かれています。
コジュケイは小綬鶏と書き、30cm弱のキジ科のずんぐりとした体形で、雑木林や竹林などで見られます。家族仲良く繁栄する姿を、守谷市がベットタウンとして成長しているのになぞらえているそうです。
人口は右肩上がりに伸びていて現在6万5千人ほどです。1970年には1万2千人ほどだったことを考えると、順調に成長しているのですね。
県境の市でもある守谷は、旧下総国でもあり、旧千葉県でもありました。
戦国期は相馬氏の守谷城があり、江戸初期には城下町でもありました。
その守谷城です。土の城ながら、よいお城です。