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0842日吉神社三重塔(重文) [和塔]

西濃の神戸町に日吉神社がある。平野のまん中といってもいいところだろう。



神社の敷地もけっこう広い。

が、これという建造物のない中で立派な三重塔があった。

桧皮葺の屋根と木肌そのものの様子がいい。古そうでもなく、けど味わいがある。朱塗りよりもいいなと思う。

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伝教大師最澄が創建したという由緒ある神社にふさわしい塔だ。

お寺にあるべき和塔が神社にあるあたりは説明板に任せよう。

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  三重塔

昭和25年8月 国重要文化財に指定
弘仁8年 伝教大師は当地巡錫 日吉神社を創建し 比叡の鎮守山王大権現の御分身を祀られた
この三重塔は大師の神仏混淆垂迹の思想に基づき 平安の昔神域に建立されたものである
現存の塔は永正年間斎藤利綱が再建し
約70年の後天正13年(1585)
稲葉一鉄が修造したものである
棟札は神護寺善学院に遺っている
塔は規模壮大 室町時代の豪華な建築様式の一典型である 幸いに戦国の兵火を免れ天正の修築 貞享の大修理など 数次の補修を経て その威容を今日に伝えている

塔の大きさ
 初重方 10.5m 軒高 4.7m
 ニ重方 10.2m 軒高 9.02m
 三重方 9.02m 軒高 13.5m
 露盤下までの高さ   17.76m
 相輪頂上までの高さ  24.6m
塔の構造
 三層塔婆 毎層三間 組物三手先 軒二重
 層木初重勾欄は天井しょく板屋根桧皮葺
 相輪鉄製

 平成7年3月  神戸町教育委員会

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木組みを下から見る。

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これという装飾もなく4面が板で開き戸があるようだ。

肘木・鬼斗・尾垂木あたりの木組みは見入ってしまう。

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大きさ的にはもの足りなく感じたりするが、それよりこのバランスの良さがいい。音楽的さえ感じる。

古くて新しい感じがする。修復に手がかかっているからかもしれないが、和塔の魅力でもある。

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0839真禅院三重塔(重文) [和塔]

岐阜へ出掛けてきた。和塔めぐりである。

城と思えば、実にのんびりしたもので、場所に迷うこともないし、藪や虫に悩まされることもないので助かる。このところ体調も思わしくないので、いいリハビリというところだろうか。



西濃地方、垂井町宮代の真禅院に三重塔がある。江戸時代の和塔で重要文化財になっている。

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三重塔前が開け、ちょうどいい具合に撮れてよかった。

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 国重要文化財 真禅院三重塔(建造物)
  昭和52年6月27日指定
  所有・管理者 真禅院

 この三重塔は、天平13年(741年)辛已歳の草創で、関ヶ原合戦により焼失したが、徳川三代将軍家光により造営の運びとなり、寛永19年(1642年)9月に再建された。その後明治初年の神仏習合廃止(神仏分離令)により南宮社執行真禅院秀覚法印が三重塔を含む22堂塔を統廃合し、村人の絶大な奉仕によって明治4年(1871年)3月までに南宮社から現在の地へ移した。
 構造は三間三重塔、本瓦葺で柱礎石上端より相輪頂上までの全高は25.38m。内部に大日如来を安置する。
 この塔は、永年の風雪と荷重により全体に西方へ傾斜していた上に、昭和56年の豪雪で屋根に損章を受けたため、文化庁等の指導を受けて昭和57年7月から昭和60年3月までの三十三ヶ月を要し、総事業費1億2300万余りを費やして全面解体修理を行った。

  垂井町教育委員会 真禅院朝倉山奉賛会

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全面解体修理を行ったそうだ。この点では木造建築は柔軟に対応が効くらしく、他でもそんな話はよく聞く。いたんだ様子や塔の傾きはなかったが、塔は古めかしい感じはあった。

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朱塗りされているが、そこに新しさが感じられないからだろうなと思う。

細かく装飾も入っている。江戸初期、日光の堂宇と同じ頃と思えば、田舎の質素の建造物ということになるのだろうか。

南宮社から明治初期に移動させたそうだが、丘の先のいい位置にある。

均整の良さに、しばし見とれて楽しむ。

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0834閼伽井坊多宝塔(重文) [和塔]

山口県下松市花岡戌町に花岡八幡宮がある。



ここの閼伽井(あかい)坊に多宝塔がある。

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こけら葺の古めかしい木肌の建造物であるが華やかな感じを受ける。上の2階部分が高く、2層目の屋根が大きく、やや反りが入っているためであろうか。

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重要文化財
  閼伽井坊塔婆(多宝塔)

この塔は、藤原鎌足公が建立したと伝えられ日本十六塔の一つで、現存のものは室町中期に再建された繊麗な手法をもつ優美な建造物である。三間四方の二重塔婆で総高13.7m、屋根はこけら葺で塔の周囲に回縁をつけ斗きょう間には装飾蟇又を用いている。また内部の四天柱には、天井長押をめぐらし鏡天井で須弥壇は簡素であるが古制を遺している。
本尊としては、金剛界大日如来像が安置されている。
建物の外部も形態がよく整い、厳島神社の多宝塔などの現存された他の多宝塔と比べて遜色がない。
昭和25年8月29日 重要文化財指定

  追加指定 棟札五枚

重修復 元禄十三年辰年 (1700年)
修 復 享保八癸卯年  (1723年)
重修復 延享元甲子年  (1744年)
重修復 宝暦七丁丑年  (1757年)
葺 替 安永六丁酉年  (1777年)

この棟札は、江戸時代に多宝塔の修復工事が行われた時の記録で、当時の執政、郡吏、宮司、住職及び大工庄屋等の名が記されている。

昭和54年3月3日 追加指定

    下松市教育委員会

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陽射しの加減を避けて横から撮ってみる。木組みの様子がよくわかるだろうか。

蟇又あたりの木組みが面白い。

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本堂のあたりから眺めおろした。こけら葺の屋根の、なんとも言えないカーブが良かった。

城めぐりの合間だったが、立ち寄ってよかった和塔だった。

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0832興正寺五重塔(重文) [和塔]

今年の初め、名古屋八事にある興正寺五重塔を見てきた。八事界隈は用事等で訪れたことは多い。興正寺という立派なお寺があることも知っていたが、境内に入ったことはない。

和塔に関心を持たなかったら、まだまだ訪れなかったことだろう。重文の五重塔であり、東海地方にはここしかないようだから、とそんなことを知るようになると、是非と思い出かけてきた。



街中なので車ではやっかいになるかと思ったが、意外と簡単に停めれた。参拝者駐車場1時間200円(平日)だった。(休日は300円)

門をくぐると正面に建っていた。

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正面には大仏さんが鎮座されている。これは知らなかった。高さ7mを超す平成大仏だそうだが、不謹慎にも撮影には邪魔だなと思ってしまった。

そう思い反対側から撮った一枚。

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夕暮れが迫り、ちょうど逆光になる。いやはや、なんとも。

説明的に全部をフラットに鮮明に撮りたい。しかし。難しいものだ。

この日は何枚も撮っているのだが、こうして振り返るといい写真がなくてがっかりしてしまう。腕の未熟さを痛く反省。

こんな一枚も撮った。構造を楽しむ。

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瓦葺。江戸時代建立の木造五重塔である。

こうして上の一部を写すと、こんな調子で何重にも屋根が連続していくようにも思える。淡々として力みのない姿である。

わかりやすく説明的に撮るか美しくドラマチックに撮るか、城郭でもよく悩む問題だが、和塔でもより難しい問題だ。

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0828三明寺三重塔(重文) [和塔]

和塔のことはまだまだ知らないからなのか、意外なところにぽつりと重文建造物が残っていたりする。それがたまたまなのか、必然的理由があるのかは知らないが、三河にも重文指定された三重塔がある。

豊川市豊川町、そこは駅の近くでもあり、あの豊川稲荷の近くでもある。町の中心部といってもいいような場所だろう。



訪れる人もめったにいないようなお寺で、おかげで気楽に参拝者駐車場に停めれて助かった。

木々の向うの境内に入ると、三重塔が飛び込んでくる。
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素朴だけれど、立派な塔である。

寺の創建が702年という古さに驚く。そしてこの塔は室町時代のものらしい。

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  三明寺三重塔

    国指定重要文化財
    明治40年5月27日指定

 三明寺は、寺伝によれば大宝2年(702)の創立といわれています。平安時代の末に一度戦火にあい焼失しましたが、南北朝時代に、後醍醐天皇の皇子無文元遷が遠州方広寺に行く途中ここに立ち寄り、その荒廃を嘆いて再興したと伝えられています。
 諸堂中最も古いこの三重塔は、享禄4年(1531)の建造で、総高14.5mのこけら葺の小塔です。
 一層、二層を和様に、三層を禅宗様にしたのが全国的にも珍しく、三層の軒の反り、扇垂木、鎬のある尾垂木などに禅宗様の意匠が認められます。

    豊川市教育委員会

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一階部分の構造を間近で見て楽しむ。

私には、この木の見事な組み合わせがたまらなく素敵に感じる。

四面に桟唐戸がついていた。

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本堂をお参りして時を過した。

三層目の屋根に特徴があるわけであるが、下からではよくわからない。が、それはそれ。見上げた塔も、やっぱり素敵だ。

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0824密蔵院多宝塔(重文) [和塔]

この日は一日尾張の和塔めぐりだったが、春日井市熊野町の密蔵院に駆け込んだ頃には陽が暮れかかってしまった。ぼんやりと見ていると、夕暮れの和塔なんて味わい深く思えるのだが、ディテールを確認しようと思うと少し残念な感じもする。

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夕陽を背負う格好だと少し苦しい。が、この角度でまずは撮りたいのだから仕方ない。いろいろと角度を変える。

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稲沢市の性海寺萬徳院の多宝塔よりきれいに保存されているようでうれしい。

素朴な板張りなどがいいね。

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春日井市教育委員会による説明板は初心者向けに丁寧に解説されており、ありがたかった。

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 密蔵院多宝塔

  国指定重要文化財
  三間多宝塔 こけら葺 高さ16.5m

 多宝塔は一重塔に裳階(ひさし)をつけたため二重に見える塔で、天台宗や真言宗の寺に多い。
 この塔は室町時代のもので、何回も修理されたが、昔の姿をとどめている。
 密蔵院の塔は禅宗様式の入っている珍しいもので、
一、縁廻りの高欄の親柱の頭が、蓮華がさかさまの形である。
二、桟の入った扉をわら座という小さな木切れで吊る。
三、尾垂木という天狗の鼻のような斜め材の先を細める。
四、貫という横木を多く用いる。
五、内部に海老虹梁という横木で柱と柱の間をつないでいる等の特色がある。
 屋根の軒反りや勾配がやや急であり、姿は近江の石山寺を思わせる。

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陽が暮れていく。やっぱり、夕暮れの和塔はいいものだ。

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0823萬徳寺多宝塔(重文) [和塔]

稲沢市にはもうひとつ重文の多宝塔がある。長野町にある萬徳寺の多宝塔だ。重文の多宝塔は全国に30数か所あり数多いものではあるが、それでも同じ市内に複数あるところはそうはないことだろう。

和塔が残されているところは、ずいぶん偏りがあって、その加減がよくわからない。が、尾張国の豊かさをそれとなく感じる。

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今でもちょっとした寺院であるが、萬徳寺がなかなかのものであるらしい。創建は神護景雲2年(768)の奈良時代で、江戸時代には尾張国真言宗本山として50以上の末寺のある大寺院だったそうだ。

だから、このくらいの多宝塔は当たり前なのかもしれない。そう思うと、檜皮葺の少し地味な建造物だ。

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性海山寺塔をまねて作ったようだ。

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重要文化財

多宝塔 1基 付棟札1枚 室町時代

三間多宝塔 桧皮葺

裳階の隅柱心々12尺、裳階は面取角柱、<ときょう>も裳階出組支輪つき、上層は和様の四手先<ときょう>とし、高欄腰組に禅宗様の平三斗を用いる。戸口は正背面にのみあり、側面は板壁の簡素な建物である。
頭貫や木鼻、渦を用いない実肘木の絵様など、性海寺の塔と類似点が色々あり、この塔は性海山寺塔を参考に作っていると思われる。

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しかし、全体的には落ち着いた地味な感じがあり、私的にはこちらが好きだなと思った。簡素な板壁を見凝めてきた。

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0822性海寺多宝塔(重文) [和塔]

稲沢市大塚の性海寺を訪ねた。ここは以前、大塚城として来たことはある。もっとも大塚城といっても何の印もない。大塚性海寺歴史公園としてよく整備され、案内板も多く出ているが、やっぱり城ということには触れられていなかった。そんな大塚城を訪ね、古墳などを物見台に使ったのだろうか、池は堀の痕跡だろうか、などと見てまわったものである。あの時は、再び多宝塔を見にくるとは思わなかった。

多宝塔には見覚えはある。しかし重文の建造物という意識はなく、そんなに素晴らしかったのか、と確認に訪ずれた。

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端正に整った姿は、和塔の魅力だと思い、楽しんだ。

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中央の細さが少し気になってしまった。

少し趣が違った感じを受けた。

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重要文化財

多宝塔 1基 付棟札3枚 室町時代

三間多宝塔 銅板葺

下層の四方に廻縁があり、中央の間は板唐戸を方立に取りつけ、脇の間は盲連子窓に腰羽目板、組物は和様出三斗に軒支輪があり、中央の間にのみ絵様を入れた蟇股があり、頭貫には天竺様の木鼻がある。
上層は円柱十二本の上に四手先の<ときょう>をおき、勾欄腰組の平三斗とともに唐様である。

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なるほど、かなり唐様を取り入れた和塔のようだ。

説明がよくわからないながらも、じっくり見てきた。

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0821甚目寺三重塔(重文) [和塔]

尾張四観音と言われ、龍泉寺・荒子観音寺・笠寺観音・甚目寺観音とそれぞれ有名なお寺があるが、今回初めて甚目寺観音を訪れた。

お目当ては境内にある三重塔である。重文に指定されている。

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形が整っていて美しい。

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まだどう撮っていいのか、手探りと言った感じがする。見上げた姿、下の1階の部分。

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ここに愛染明王坐像が納められているのであろう。

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甚目寺三重塔 国指定重要文化財

 名古屋両替町の吉田半十郎の寄進により寛永4年(1627)に建立された。江戸時代の建立でありながら和様の伝統を受け継いでおり、力強さと優美さを兼ね備えた塔である。鎌倉時代の作と伝わる木造愛染明王坐像は、高さ102センチの寄木造で、腹部の空洞に高さ6センチの小像が納められている。  あま市教育委員会

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しかし、今は御託よりも、見ているのが楽しい。

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0817瑠璃光寺五重塔(国宝) [和塔]

和塔の中でも五重塔ともなると大きくて華やかである。当初は漠然として見ることが多かったが、和塔が気になり出すと、もう一度見直してみたいと思って出掛けたのが山口にある瑠璃光寺の五重塔だ。

ちなみに日本では国宝に指定されている五重塔は9つあるらしい。

 海住山寺五重塔  京都府
 教王護国寺(東寺)五重塔  京都府
 興福寺五重塔  奈良県
 醍醐寺五重塔  京都府
 羽黒山五重塔  山形県
 法隆寺五重塔  奈良県
 明王院五重塔  広島県
 室生寺五重塔  奈良県
 瑠璃光寺五重塔  山口県

再訪も含め、これらを見直していきたいなと思っている。

瑠璃光寺五重塔は、醍醐寺五重塔、法隆寺五重塔と並び日本三名塔と言われているそうだ。

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今では日本の歴史公園100選になっている香山公園に瑠璃光寺五重塔はある。近くには毛利家墓所や山口城などがあり、それらといっしょに訪れた。西の京山口を味わう見所の多いところである。

池の奥にみえる五重塔はすぐ目に留まり、離さない。見事だ。

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その池の右側を行き塔に近づく。木々の間から見上げる五重塔は迫力だ。

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見上げた屋根の連なりがきれいだ。

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がこうしてこだわって写真を撮ってみると、実に光の加減が難しいものだと感じた。屋根の裏の木組みを伝えたいと思うと景色が白とびしてしまう、輪郭を重視しようとすると木組みが黒つぶれしてわからない。和塔の撮影は大変だなと思った。

その均整さを楽しみたいとと思って撮った一枚。

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でも、何か味気ないような気もする。

しかし、こんな画像にワクワクしだしたこの頃でもある。

木造建築の美しさ、細部にこだわるとその楽しさが増してくる。

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国宝 瑠璃光寺五重塔
 明治36年4月15日指定
 所在地山口市香山町7番1号

 この塔は、嘉吉2年(1442)に建立されたもので、室町時代中期におけるすぐれた建築の一つであるとともに大内氏隆盛時の文化を示す遺構として意義深いものである。
 高さは31.2mで桧皮葺独特の軽快さを見せており、軒の出は深くなっている。塔の身部は上層にゆくにつれて思い切って間をつめているので、塔の胴部が細く見えてすっきりした感じである。これに対して初重の丈が高く、柱が太く二重目には縁勾欄があるので安定感が強い。鎌倉時代から和様、禅宗様、大仏様建築様式が行われているが、
 この塔は大体和様を主体としていて、わずか一部に禅宗様の手法が見られる。室町時代のものとしては、装飾の少ない雄健なものである。この塔は大内義弘の菩提をとむらうためその弟の盛見がこの地にあった香積寺の境内に建立したものであるが、江戸時代の初めに香積寺は萩に移り、その跡に瑠璃光寺が移ってきた。その後、「瑠璃光寺五重塔」と呼ばれている。

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ぎれいだ。

なぜか瑠璃光寺五重塔の付近には人がおらず、きれいに写真が撮れたのが嬉しかった。けっして、人が閑散として訳ではない。よくある観光地のように人はいっぱいだった。

西の京山口は時間をしっかりとっての訪問をお勧めしたい。

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